ひつじのブログ

やればできるを、そろそろ自分にわからせたい。

たったひとつの「産まない」理由

ご無沙汰しております。ひつじです。

更新に期間を空けると、なんとなく書き出しが気恥ずかしい。なぜかしら。

さてこれ。こないだネットコラムで「子供を産み育てることは人間を幸せにはしない。むしろ幸福感が下がるって研究結果が出たよ」という内容の記事を読みましてね、ちょっと考えさせられました。いやほんとは結構ずーっと考えてることなんだけど、改めて。

旧き善き一般社会通念上では、「出産」「子育て」は幸福の一形態として捉えられることのほうが多いと思うんですが、最近はそういう風潮でもなくなってきましたね。今の日本で子供を産んで育てるっていうのは本当に大変そうです。未経験だから推測だけど、周りを見てもニュースで見聞きしても、まあとにかく大変そう。キツそう。
そもそも子供ができなくて悩んでるカップルも多いですけどね。不妊、流産、早産など、無事に産まれてくるまでも大変。それに加えて、産まれてからも大変。

日本死ね」の人の気持ちだって、かなり容易にお察しできますよね。
国にも社会にも制度にも人口構成比にも、これから子育てしようっていう人にとってプラスの要素が見つけられない。で行き詰まったワンオペ育児の末の幼児虐待だったりしてるわけです。最悪です。

それでも、こんなに艱難辛苦だらけの社会でも、人は子供を産みます。そりゃ子孫繁栄が動物の本能ですから。社会に負けずに本能に正直に従って生きる人を尊敬するし、本当に感謝。もちろん世の中、子供の1人や2人余裕で育てられる、恵まれた環境の家庭もあると思います。でも、そうじゃないお家の方が多いですよね。

若気の至りか、やむにやまれずか成り行きか、単に楽観的なのか、いろいろ考えたうえでの決断か。様々なケースがあると思いますが、結婚して子供を産んで育ててお家繁栄、という昔ながらの「普通の幸せ」オンリー構図が決壊してる今日では「普通の幸せ」がものすごくハードル高くなってるわけだから、そういう決断はむしろ英断のようにも思われます。

 

子供を産んで育て上げるということを、産む前にもっとしっかり考えた方がいいんじゃないか、と何となく思い始めたのは、小学校も低学年の頃、周りに将来の夢を「およめさん」「おかあさん」と書く女の子がめちゃめちゃ多かったのがきっかけです。オイオイ、あんたらがまだ子供でしょうが。でもほんとに三つ子の魂百までで、子供のうちに子供を作るパターンも多いわけですね。それもまた、人に迷惑かけないでしっかり育ててくれさえすれば感謝ですが。申し訳ないけど、他人事だから。

 

ただ、私は今のところ「産まない」という選択を支持してるけど、特にこの選択を推奨したいわけでも何でもないです。むしろ(自分のことは完全に棚上げで)明け透けに言うと、できれば誰にも疑問を持たずに子供産んで育てて次の世代にバトン渡してもらいたい。私は1人では生きていけないし、人口ピラミッドは常に三角であってほしい。老後だって私が1人でも安心して余裕で余生送れるように、せめて働き盛りが5人くらいで支える年金制度が望ましい。

私が子供を産むということに対して躊躇する理由はひとつです。
それは「人生は(いろいろあっても)すばらしく、生きるに値する」という確信が持てないという一言に尽きます。
この点ひとつで、私は子供が産めないんです。これがただひとつの理由。
うん、頭でっかちでネガティブな理由ですよね。

もちろん(いま、この瞬間)「楽しい」「面白い」「すばらしい」「感動する」という感覚は常に身近にあります。もしかしたら、子育てによって「人生は(いろいろあるけど)すばらしい」と感じる可能性はかなり高くて(いわゆる「あなたに会うために産まれてきた」論)、私個人としては残念。でもあくまで可能性の話です。
産むとき痛いかなとか、生まれつき障害があったらとか保育園決まらなかったらとかママ友付き合いめんどくさいとか子供がイジメに遭ったら人をイジメたらとか、大学まで通わせる学資はあるかとか、もし留学したいって言われたらとか、他にもいろいろ心配事は尽きないけどそんなの全部後付けで、それが単純な理由。

 

ホント、頭でっかちだよなーって自分でも思いますよ。でもそんなことを、結構に長いあいだ真剣に考えてきました。なるべく感じ方を正確に表現しようとするとこうなるんだけど、でも潜在的に同じようなこと考えてる人、結構いると思うんですよね。子孫繁栄の本能を社会的理性が邪魔するこの日本の現在の社会的状況からしてもそうだけど、お金がない/環境が整わない、の前に、「産まれてきてよかった」って自分自身が確信持てないところが、実は最も根深い理由なんじゃないのかな。なーんて。

 

女として損してるとか負け犬とか、欲張れまだ間に合うとか何事も経験だとか、怒られる気しかしないけど、でも産んでしまったら、もう腹には戻せないわけですよ。出産だけに腹を括って自分で育てるしかないわけ。もちろん血を分けた腹を痛めて産んだ子供が可愛くないわけない(と思う)けど、これも可能性の話です。

私からしたら、何でお母さんになる人というのはそんなに疑いなく子供を産めるんだろうか、と不思議に思います(もちろん人口増加に寄与してくれて、有り難いんだけど)。そこが逆説的に「母は強し」の理由なんでしょうね。一般的な母親は自分とパートナーの勝手で(赤ちゃんが望んだわけでもないのに)ひとつの命を強制的にこの世に送り出した責任によって、とにかく自分のできる限りを尽くして立派に育て上げるんだ、と覚悟を決めて子を産み育てるわけですから。

「産むのも産まないのも個人の自由」という考え方がありますが、私の感じ方だと「産むのは個人的なエゴ、産まないのは社会的なエゴ」です。

子供であろうと一個の他者の命に対して、親であっても自由っていう言葉を使うのはちょっと違う気がしていて、むしろ親にもどうにも制御できない類のエゴと采配(神の見えざる手!)が働いて、人は産まれたり産まれなかったりするんでしょうかね。

正解のないことをあーだこーだと考えるのは不毛と判ってはいても、この件については(自分に期限があることなので)わりと頭の片隅にいつもあって、たまに苦しみます。

 

【本日の一曲】
梓みちよ/こんにちは赤ちゃん