ひつじのブログ

やればできるを、そろそろ自分にわからせたい。

ホリエモン「電話連絡は人の時間を奪ってることに気付け」→私「うわ、すみません」ガチャ

これ最近、よく目にする/聞こえてくる意見・・・ちょっと私、こういう風潮って怖くて。怖くないですか?電話一本かけるのにも、結構気疲れする世の中になってきましたね。

お題「ケータイと私」

いや、言いたいことはすごくわかるんですよ。わかるんですけど、こんな事を臆面もなく言っていいのって、世界広しと言えどもビルゲイツホリエモンくらいだと思うんですよ。なんだろう、「一万円札が落ちてても拾わず仕事に向かった方がお得です」レベルの、次元の違う時給換算で働いてる人が許される考え方じゃないの〜?ってイメージ。そういう人ってあんまりふつーの一般人が電話することもないだろうから除外できるんだけど。
なんといいますか、例えば私の同僚Aとかが「こいつまたテキトーに相談しようと電話かけてきやがって。メールにしろよ、メールに」みたいなこと言ってるのを聞くと、おお、、ちょっと勘違いはいってるんじゃないの・・・、なんて思っちゃいます。「まあまあ、直接声聞いた方が安心できることもあるじゃん」とか言って宥めますが。かくいう私みたいな人間が同僚Aみたいな人間の時間を奪っていることに異論もありませんが。

個人的にはどっちでもいいって思うんですよ、メールでも電話でも(佐藤君でも田中君でも、Yeah)。私の勤め先はチームプロジェクト制で、会いたい人に都合よく対面で相談することがなかなかできません。なので、コミュニケーションの手段は必然的に電話かメールのニ択になってくるわけです。けど、少なくとも私の周りのいわゆる「デキる人」って、その時その時で自分の有利なように連絡方法を使い分けてるし、たとえば上司からかかってきた超絶不穏そうな着信を「このタイミングで電話か〜〜↓↓」ってボヤきながらもちゃんと対応して捌いてます。「電話してくんなよ」みたいな同僚Aタイプに限って優柔不断だったり、柔軟な対応ができなかったりするタイプが多い気がするんです。もちろん電話かける側は、相手はいま打ち合わせ中じゃないなとか、ある程度人の予定や状況を勘案した方が望ましいとは思うんですけどね。

かかってきた長電話になりそうな気配がしてこっちに余裕がないなら、途中で「ちょっとすみません。いま立て込んでるんで、後で連絡しなおします」の一言で済むんです。そしたら向こうが気を効かせてメール送ってきて、すんなり解決したりもするもんです。人の得意なコミュニケーションは人によって違うし、そこまで二者択一に限定しなくてもいいのになぁ・・・うるさいなぁ〜、って感じるんですよね。いろいろと効率化でお仕事もコスパ主義が幅を利かせて、まあ残業規制とかいろいろあってギスギスするのかもしれないけど、もうちょい寛容な環境とか心境になれないものか、とつくづく思います。
1日10分間、お互いの時間を奪い合っても、その代わりにちょっとその人との円滑な人間関係が構築できる方がよっぽど効率的に仕事できると思うんだけど。合理性を重視する職場には相容れない考え方なのかなあ。でも仕事の成果とか善し悪しって、ほとんど人間関係に依りませんか(これがそもそも合理的じゃないのか)??一般的なタスクは統制的に言っても二人以上が最小構成単位なわけだし。
会議のセッティングとか、リマインダーでもない限り、メールじゃなくて一言直接声かければ済む用事はメール要らないし(メール打つ方が時間かかりますよね)、例えば昨日の飲み会の御礼だったらよほど直接伝えた方が相手も喜ぶだろって気がするんですよ。アラサーにしてもう古い人間の側ですかね。

ま、実際そんなこと言ってる私自身が「デキる人」とは程遠く、ピンチのときにかかってきた上司からの電話なんか「着信気付かなかったことにしとこうかな・・・」なんて考えちゃうんですが、まあご愛敬ってことで。

でもさ〜、ちょっと話逸れて、「デキない人」の言い訳にしかならないけど、組織のみんながみんな「デキる」「効率がいい」「最小の努力で最大の結果を出す」人だったりしたら・・・そんな息の詰まるところで働きたくないと思いませんか?私はある程度の規模のある組織だったら、バランスが重要じゃないかって思います。ちょっとおっちょこちょいでも、人を思いやれる度量のある人とか、たまには雑談やバカ話で盛り上げて部署の潤滑油になれる人とかも不可欠なんですよね。

それがわりと当たり前だと思ってたけど、最近はどうにも、それがマイノリティーな考え方なのかなって気がしてて心なしか寂しい気分です。ま、気にせずに煙たがられながらも電話かけるけど。

 

【本日の一曲】
YOSHII ROVINSON/CALL ME

CALL ME

CALL ME